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ミュージックサロン三条(三条本店)

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  • 〒604-8036 京都府京都市中京区三条通寺町東入石橋町11番地   JEUGIA三条本店5F・6F
  • 075-254-3706
  •  10:30~21:00(日は~20:00、祝日休館)

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【スタッフブログ2487】本日のみずもり

その2487 音楽のきっかけと楽器遍歴

ミュージックサロン三条(三条本店)

個人的に怒涛の土日を過ごし、まだ声がカッスカスな巨人でs…みずもりです。
How's it going?

さて。
先日のりほさんのブログで
【音楽を始めたきっかけは何ですか?】
という素敵なお題を頂戴しておりましたので、今回はそれについて書いていきたいと思います。

音楽は。
聞く分には、両親(特に父親)の影響で、家の中にはごくふつうにレコードやラジオやFEN(米軍極東放送/Far East Netwark:現AFN)が流れていて、カントリー&ウェスタンや50’sといったオールディーズ、ロッドスチュワートやデヴィッドボウイやレッドツェッペリンといったブリティッシュロックといった洋楽ポップスやロックを浴びて育ちました。

何かの”楽器”を始めたのは、小学一年生の頃。
まるで姉のように慕っていたお隣のお家の二学年上の幼馴染の女の子が、エレクトーン教室に通っていまして。
遊びに行くと、よく弾いてくれました。
エレクトーンって、右手と左手に足まで使うじゃないですか。
もうそれが魔法みたいで。
その弾いてる幼馴染の姿や、音色や紡がれる曲が本当にかっこよくて。
それで両親にやってみたいと申し出たのが最初です。
もちろん、その幼馴染と同じ教室に、一緒に通っていました。
結局高校一年生まで続けたかな。
高校が自宅から自転車で45分くらいかかるところだったことと、部活もやってたので。
時間的にどうにも通えなくなってしまって、グレード5級を取ったタイミングでお教室へ通うのはやめまてしまいました。
それからしばらくは、家で時々弾いていましたが、大学で京都に来てからは、ほとんど触ることもなくなってしまいました。
今でも実家にはエレクトーンはありますので、今度帰った時にでも久しぶりに弾いてみようかと思います。

それと並行して、小学二年生の秋頃に音楽の先生のお誘いを受けまして、学校の合唱部に入りました。
そこがまたガチ中のガチで、NHKや民放系のコンクールに出るようになって……というのはまた別のお話。

そして時は流れ、巨人大学生になり、成り行きで軽音部に入ります。←流れすぎw

成り行きとは。

最初は軽音部に入りたいと熱望していた友人の付き添いで、部活を見学に行ったのです。
その友人はもうそれこそ入る気満々でしたので、その場で即入部してました。
で、巨人ですよ。
ほんとに漠然と
「なんかやれるとしたら、エレクトーンやってたしキーボードかな」
と思っていただけで、友人のような熱意も情熱もなければ、入部希望なんてカケラもなかったんです。

「合唱部やってたんならボーカルいけるんちゃう?」
て思うでしょ?
それがね。
合唱部の歌い方とバンド、特にロック系バンドでの歌い方って、発声が全ッ然違うんですよ。
だから自分がそっちの歌い方で歌を歌うとか、想像もつかなかった。

ただその時、どうもキーボードは人材が揃っていたことと、たまたま四回生の先輩が就職活動で軒並み退部してしまい、ボーカルがいないバンドがあった。
そういう事情から、その場にいた先輩に
「元合唱部なんやし、歌えるって」
と、いとも気軽にマイクとスコアを渡され、突如始まるセッション大会。
そこで流れはじめるのがZIGGYさん『GLORIA』のイントロ。
「あ、この曲知ってる……かも」
てなったところで、もはや歌うしかない。
むしろ歌わないと帰れない雰囲気すらあった。

そして3分後。
「よし。ボーカル決定」
という先輩の鶴の一声で軽音でも歌をやることになり、それがそのまま現在に至ります。

途中二回生の時に、学祭ライブの企画で
「普段とは違うパートでバンドやってみようぜ!」
みたいな地獄の企画が持ち上がりまして。←軽音部あるある?
巨人は、手がデカくて握力があるというそれだけの理由で(笑)ベースを担当することになり。
当時やってたバンドのギタリストの女の子と、それこそ三条JEUGIAのstageさんで、人生初のベースを購入しました。

それが一本目のFernandez FRB45Mです。
真っ黒の細身で可愛いコです。
名前で分る方も多いかと思いますが、ミドルネックです。

巨人デカいのに?
腕の長さも充分すぎるほどあるのに?

でーすーよーねー。

これは、その時に一緒について来てくれた件のギタリストに理由があります。
その子はとても小柄な女子でしたので、対応してくださった店員さんは、買うのはその子だと思われたようなのです。
で、また別のを……ていうのもあれだったので、そのまま巨人が買わせていただきました。

ちなみに巨人は女子大出身でして、当時は通っていた女子大の軽音部にいました。
なので、部員は全員女子でした。
そしてそのギタリストの子は、今でいうゆるふわ系の見た目のラブリー女子でしたが、愛用機材は真っ黒なGibsonレスポール
バンドでやってたのは、Deep Purpleに44マグナムにアンセムといった、全然可愛さのカケラもない、むしろごりごりのHR/HMでした。

そんな経緯でベースを買い。
まぁメインはもっぱらボーカルでしたが、学祭とか定期演奏会の企画バンドで、ごくまれにベースでパンクとか弾いてました。

あとは大人になってから、枚方の某楽器屋さんで一目ぼれしたギターを即買いしまして。
コードなどをぽろりぽろりと爪弾いたり。
極まれに、KO◆Gキーボードマニアの家人のキーボードを触ってみたり。

そんな巨人の楽器遍歴でした!!!

※「ボーカルは己の身体が楽器」という自論から、今回楽器の類にカウントさせていただきました。

ということで。
それではまた次回も夜露屍紅です。

Hell,yeah!